war en ja
「(戦後の)フィリピンでね、よく日本人に間違えられたんです。アメリカの軍服を着ているのにね。(二世兵士たちと)何人かでカフェーに入っていったら、『日…
community en ja
1969年8月中旬イーストロサンゼルスのボイルハイツ。日系1世、トクジ・ヨシダは自宅の食卓でたばこをふかしながら今日の羅府新報に目を通していた。「第…
politics en ja es pt
毎日絶えず報道されている、トランプ大統領が移民政策として実施している「不寛容政策」のニュースを見るたび、私の目には涙が浮かびます。“無慈…
ソーテル通りのラグレンジ通りからミズーリ通りまでの東側の広い一角には現在、大きな複合施設やアパート・ビルが立ち並んでいます。そのブロックには、かつて…
culture ja
日系アメリカ人の中で、「帰米」(きべい)と呼ばれる人たちがいる。出生地はアメリカなのだが、幼少期に日本で教育を受けて、ふたたびアメリカにもどってきた…
今や世界中に読者を抱える作家村上春樹の英語訳を手がけていることでも知られる、日本文学研究者であり英訳者のジェイ・ルービン(Jay Rubin)が…
war ja
今年は終戦から65年。戦争の記憶は年々風化の一途をたどるが、第二次大戦中に「敵性外国人」として強制収容所での生活を余儀なくされた日系アメリカ人や、ま…
このエッセイは、シカゴ在住の増岡幸子さんによる被爆体験のスピーチを書き下ろしたものです。 皆様よくいらっしゃいました。只今ご紹介して頂きました増岡幸…
war en ja es pt
パート1 >> マヌエル・プラド政権と戦争に対する政策 1941年、世界各国が第二次世界大戦に突入した時、プラド大統領はペルーは能動…
一国もしくは一つの集団の歴史よりもっと興味深いのは、さまざまな集団が、類似または異なったもの同士で統合・融合しあい共通の状況を生み出した時 である。…
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