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およそ1年間にわたり日米をまたにかけて活動した加藤新一という人物の生涯と業績を追ってきました。1900年に広島市で生まれ、1982年に故郷で亡くなっ…
国連事務総長に手紙を書く 「世界連邦」と「地球市民」を訴え世界各地を回る加藤新一は1975年7月、サンフランシスコで開かれた第一回地球市民世界大会…
よく 牛にひかれて善光寺詣り というが、私はこのたび善光寺詣りならぬ世界秘境「ネパール」詣りができた。それも「牛」ならぬ「地球市民」のお蔭であっ…
1900年生まれの加藤に直接会っている人は、日本で私が取材した範囲では加藤の甥にあたる吉田さんと加藤の実家近くに住む二人だけで、アメリカではロサンゼ…
行動するジャーナリストである加藤新一は、書き残したものはすくない。少しでも本人の書き残したものがないか、故郷広島の「広島平和記念資料館」の「平和デー…
最期は日本で迎えたい 二度目のアメリカ滞在で、新日米新聞社の主幹として1961年に「米國日系人百年史」をまとめた加藤新一は、まもなく新日米新聞社…
かつての住所を訪ねると 「米國日系人百年史」のなかの自己紹介ともいえるプロフィール記事と、1982年2月10日の中国新聞社の訃報(死亡記事)など…
中国新聞の連載記事「原爆と中国新聞」(2012年3月〜5月)によれば、広島に原爆が落とされた当時、加藤新一は中国新聞記者の報道部長で、被爆当日市内を…
culture en ja es pt
ホセ・タロウ・ソリージャ・タケダ(José Taro ZORRILLA TAKEDA)は、日本とメキシコの名門大学で教育を受けた日系メ…
war en ja es pt
その2を読む >> 1970年代後半、アメリカ人被爆者は連邦政府に対し、保障を求める戦いを続けましたが、その努力が報われることはありま…
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