culture en ja es pt
彫刻家ケンジ・シオカワ氏が2021年6月18日に亡くなったとの最近の悲報を受け、深い悲しみが私を襲いました。私は、2017年に全米日系人博物館で…
identity ja
「日本で経験積んでから渡米」が正解だった 2018年3月にアメリカで、4月には日本で公開の日米合作映画「オー・ルーシー!」に参加したヘアメイク…
culture ja
二世の水彩画家ヘンリー・フクハラの名前を初めて聞いたのは、2014年5月に自らの強制収容所の体験を水彩画で表現している三世メリー・ヒグチさんに会った…
culture ja es
>>その7サムは、淑子と結婚する以前の事だったが、イサムは1951年に再来日して、丹下健三氏と共に広島に行き、橋のデザインも描いていた。そして、広島…
>>その6新婚旅行から帰国したイサムと淑子は、北大路魯山人の北鎌倉の屋敷の離れを借りて、住まいとアトリエを構え、新婚生活を始める。イサムは、魯山人の…
>>その5イサムは、1943年、はじめて照明作品「Cylinder lamp」を制作する。1944年、「Caffee table」と「Dinette…
>>その41937年、メキシコからニューヨークに戻ったイサムは、初めての量産品「Radio Nurse」の制作を手がける。そして、1939年には、ニ…
>>その31936年、32歳の時、イサムはメキシコシティーのアベラルト・ロドリゲス市場の壁画レリーフ(メキシコの歴史)を制作するため、メキシコで8ヶ…
>>その2華やかなパリで恋に浮かれ、師と仰ぐブランクーシ一のもとで助手になるという願いも叶い、多くを学んだ。1年間だけのグッゲンハイム奨学金は、それ…
>>その11918年、母レオニーは、インディアナ州、ローリング・ブレーリーの公立中学校、インタラーケン・スクールに入学さす為に13歳のイサムを単身で…
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