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前回は與右衛門がワラワラで営む理髪業の絶頂期についてお伝えした。今回は與右衛門のもう一つの課題であった、與(あたえ)の教育を取り上げることにする。 …
前回は、シアトルで生まれた子供達が蒲井の與右衛門の両親の元へ預けられ、與だけ両親が働くシアトルへ呼び戻されたところまでを書いた。今回では、その後の與…
前回は與右衛門の結婚後のシアトルでの家族と夫婦共稼ぎの理髪店の様子を紹介した。今回は、仕事の邪魔になると日本へ連れて帰られた與右衛門の子供達の蒲井で…
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モリグチ・ファミリーの結束によって成長してきた宇和島屋だが、その結束を生んだのは、それぞれの家業に対する愛情であり、創業者の森口富士松・貞子という両…
war ja
「米國日系人百年史」(新日米新聞社、1961年)によれば、シアトルでは戦後、まちに帰還した一世たちが競うようにしてホテル、アパートやオフィスビルを購…
community ja
広島県広島市出身で、6歳から10歳まで戦争を体験し、その後結婚を機にシアトルへ移住した藤井藹子(ふじい・あいこ)さん。米国書道研究会シアトル支部やシ…
culture ja
日系アメリカ人の中で、「帰米」(きべい)と呼ばれる人たちがいる。出生地はアメリカなのだが、幼少期に日本で教育を受けて、ふたたびアメリカにもどってきた…
「おばあちゃんと呼んで」 据石さんは平和講演を行う際、冒頭で「私の事をおばあちゃんと呼んで」と聴衆に呼び掛けた。一般的に、原爆の話になると、落とし…
ジェームス・吉永さんは、1929年、ロサンゼルスのダウンタウンの一角で福岡県出身の母親と鹿児島県出身の父親との間に長男として生まれた。父親は農村の小…
田島喜八郎さんの父キミオさんは、アメリカ生まれの二世だが、28歳で日本兵としてニューギニアで戦死した。父が召集されたとき生後10カ月だった喜八郎さん…
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