デカセギ・ストーリー

1988年、デカセギのニュースを読んで思いつきました。「これは小説のよいテーマになるかも」。しかし、まさか自分自身がこの「デカセギ」の著者になるとは・・・

1990年、最初の小説が完成、ラスト・シーンで主人公のキミコが日本にデカセギへ。それから11年たち、短編小説の依頼があったとき、やはりデカセギのテーマを選びました。そして、2008年には私自身もデカセギの体験をして、いろいろな疑問を抱くようになりました。「デカセギって、何?」「デカセギの居場所は何処?」

デカセギはとても複雑な世界に居ると実感しました。

このシリーズを通して、そんな疑問を一緒に考えていければと思っています。

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第三十九話(前編) 日本がわたしにくれた物

マルコのお父さんは最愛の妻を病気で亡くしたため、一人息子を両親に預け、サンパウロへ出稼ぎに行った。3年たって、ようやく仕事も住まいも安定したので、息子のマルコを呼び寄せた。

マルコは11歳、大好きなパパー1と一緒に暮らすのが夢の夢だった!

毎朝早起きして、お父さんは仕事へ、マルコは学校へと、楽しい日々の繰り返しだった。なかでも、マルコの一番の楽しみは、週末に、お父さんの仕事場を訪ねることだった。

場所は「サンパウロの東洋人街」として知られるリベルダーデ区の中心街にあった軽食堂だった。マルコはそこで働くお父さんを誇らしく見ていた。イタリア系のパパーは、ブラジルのパステル2に豆腐とシメジの具を入れ、それを看板メニューに…

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第三十八話 わたしの大好きなファミリー

わたしの名前はミツノ、11歳の女の子です。パパは日系ペルー人で、ママは日系ブラジル人です。わたしは日本で生まれて、ママが大好きなおばあちゃんの名前「光乃」を付けてもらいました。

ママは21歳のとき、2歳のお姉ちゃんのモニカをブラジルの光乃おばあちゃんに預けて、お姉ちゃんのパパのリカルドさんと日本へ来ました。でも、リカルドさんは日本の生活に慣れずに、半年も経たないうちにブラジルへ戻ってしまいました。

ママはパン屋さんで1年ほど働いてからブラジルへ戻って、リカルドさんと話し合ったようですが、結局、ふたりは離婚してしまいました。

それから、ママは、モニカがお世話になっていた光乃おばあちゃんの家で一緒に暮らし始めました。で…

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第三十七話 コロナなんかに負けるもんか!

1998年、僕は5歳のとき、両親に連れられて日本へ行きました。それまで父は薬局に勤め、母はスーパーで働いていました。しかし、生活がぎりぎりだったので、もっと安定した暮らしを送るために日本へ出稼ぎに行くことを決めました。

最初、ふたりは同じ工場で働いていましたが、日系人で日本語が話せた父は、本社へ移動させられました。まもなくして、母は工場を辞め、ブラジル製品を扱う店で働くようになりました。

僕は、保育園から中学校を卒業するまで日本に居ました。振り返って見ると、人生で一番楽しい時期でした。先生方とクラスメートのお陰で、僕は日本語を話せるようになり、家でも日本語を使っていました。スペイン系の母に日本語を教えたのは父ではなく…

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第三十六話 マサトシの再出発

マサトシとロザナは幼なじみだった。学校の宿題をする時も遊ぶ時もいつも一緒だった。しかし、中学校を終えると、ロザナは伯母さんの美容室で働くためにサンパウロへ行ってしまった。それっきり2人の連絡は途絶えてしまったた。

それから7年経ち、マサトシは大学に進学した。しかし、学費が払えなくなったため、日本へ働きに出た。ある日、ブラジル料理店でフェイジョアーダ1と山盛りのファロファ2を食べていたときだった。

「ひょっとして、マッサ!久しぶり!」と、女性が近寄って来た。

金髪ヘアーがカーテンのように顔にかかっていたので、誰だかよく分からなかったが、自分を「マッサ」と呼ぶ人は世界で1人しかいなかった。

「ザァナ?もしかして、ザァ…

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第三十五話 ようやく、にっぽん! 

両親が出会ったのは24年前。9歳のときから家族と日本で暮らしていた母は、親戚の結婚式に出席するためにブラジルに戻ってきていました。父は、新郎の親友で、めったに着ないスーツ姿で式に参加していました。

ふたりとも一目ぼれだったかどうかは、はっきりとは分かりません。「パッと見たときの印象がとても良かったのよ」と、母が照れて言うと、父は「着ていたキラキラのスーツのせいかもな」と。

当時、母は20歳。横浜のデパートの化粧品売り場で働いていて、いろいろ習い事をしていました。26歳の父は、両親と祖母と弟と2人の妹とサンパウロで暮らしていて、大きな自動車修理店を経営していました。

出会ってから半年後、二人はブラジルで結婚しました。…

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