ニッケイ物語 4—ニッケイ・ファミリー: 記憶、伝統、家族観

ニッケイ・ファミリーの役割や伝統は独特です。それらは移住した国の社会、政治、文化に関わるさまざまな経験をもとに幾代にもわたり進化してきました。

ディスカバー・ニッケイは「ニッケイ・ファミリー」をテーマに世界中からストーリーを募集しました。投稿作品を通し、みなさんがどのように家族から影響を受け、どのような家族観を持っているか、理解を深めることができました。

このシリーズのお気に入り作品は、ニマ会メンバーの投票と編集委員の選考により決定しました。

お気に入り作品はこちらです。

  編集委員によるお気に入り作品:

  • スペイン語:
    父の冒険
    マルタ・マレンコ(著)

  ニマ会によるお気に入り作品

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三人の子どもたちへ ―命と縁のはなし―

三人の子どもたちへ


こんにちは。元気ですか?

今日は君たちに、自分たちがどこから来たのかを知ってほしいと思い、この手紙を書いています。難しい言い方をすれば、君たちの命の源、そして「縁」というものに触れてほしいという思いをこめて、この手紙を送ります。

今の君たちはそれぞれ4歳、2歳、そして7ヶ月だから、まだ何の事か分からないかもしれないけど、この手紙を読んでもらう日がくる事を願って、君たちの命の源そして縁にまつわる話をしたいと思います。とはいえ、お父さんができるのは、君たちという命の半分の話だけ。残りの半分はぜひ君たちのお母さんから直接聞いてくださいね。

お父さんは、アメリカの南にあるメキシコという国で生まれて…

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歩き去る:不屈の精神とガマン

「歩き去る」:私が子供の頃、父はほとんど全ての問題をこの方法で解決していました。 

私が弟とケンカすると「外に出て歩いて忘れなさい」、頭痛がする、お腹が痛いと言えば「歩いて紛らわせなさい」、新しい学校に通うのが不安、宿題がわからないと言っても、答えは「忘れなさい」でした。当時の私には理解できませんでしたが、この信念が父の人生を突き動かし、ある時は父を救い、後に私の人生の教訓になりました。

日系アメリカ人の父は、身長173センチのずんぐりとした体型で肩幅が広く、ウェーブのかかった太い黒髪で堂々としていました。「ガマン」を体現しているような人でした。忍耐は伝統であり、尊敬されている文化的特徴です。そしてそれは、父のDNA…

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米寿を迎えたジョージ・ナカムラ

今年、私たちは米寿を迎えた父のために盛大なお祝いの会を開きました。88歳を迎えることは昔ほど珍しくないかもしれませんが、それでも88歳という年齢には、特に日本文化では、特別な意味があります。88歳は日本では「米寿」と呼ばれ、直訳すると「米の年」という意味になります。漢字で「八十八」と縦に書くと、「優良」や「豊富」の象徴である「米」という字に見えるからです。私たちは、父が今回のパーティーを十分に楽しめるくらい健康でいてくれていることをとてもうれしく思いました。今回のお祝いの会を記念し、私は本人の記憶を元に父のこれまでの人生をまとめました。


ブリティッシュコロンビア州ソルトスプリング島

ジョージが生まれたのははるか昔のこ…

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20歳を目前にしたこの夏、僕が知った祖母のHistory

アイダホ州のウィザー(Weiser)に一人で住む、僕の祖母中谷悦子(Etsuko Nakatani)。大正15年(1926年)長崎県稲佐町生まれ。来年の3月で90歳になる祖母の人生を僕はつい最近まで知りませんでした。

この夏、祖母の家で見つけた「米國日系人百年史」がきっかけとなり、ジャーナリストの川井龍介氏がディスカバー・ニッケイで連載中の『「米國日系人百年史」を読み直す』に辿り着いた事で、僕は祖母の、更には日系二世の祖父達の人生史の一片を知る事になりました。

日本生まれの祖母は、第二次世界大戦中を長崎市内で過ごしました。軍事工場での勤労奉仕の日々は、空襲との戦いでもあったそうです。「爆弾が降る中、徒歩で帰宅させ…

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我々の人生: 現在と過去そして未来

人生劇場で私たちはいろいろな物語の主人公になりますが、多くの場合、無名の役者のままで人生を終えます。

母方の祖父母は大阪出身、父方の祖父母は東京出身。コーヒー園で働くためにブラジルへ移住する1930年代まで故郷で暮らしていました。

母親のシズヨは現在89歳で、一族の中で、唯一存命です。70歳を迎えた時、移民として経験した厳しい生活の記憶を子孫に残したいと語りました。それを、娘の私がポルトガル語に翻訳しました。

《学問と仕事に励み、日本人であり、この物語の主人公でもある両親や祖父母や層祖父母の根気強さ、忍耐力と楽観主義を次の世代に引き継いでいって、若い人は成功して欲しいものです。》

神戸港、19367

私…

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