ニッケイ物語 8—ニッケイ・ヒーロー:私たちの模範となり、誇りを与えてくれる人

「ヒーロー」という言葉は、人によって異なる意味を持ちます。このシリーズでは、日系ヒーロー、すなわち彼らが人々に与えた影響についてさぐってみました。あなたのヒーローは誰ですか?あなたのヒーローはあなたの日系アイデンティティまたは日系人とのつながりにどのような影響を与えましたか?

ディスカバー・ニッケイでは、2019年5月から9月までストーリーを募集し、11月12日をもってお気に入り作品の投票を締め切りました。全32作品(英語:16、日本語:2、スペイン語:11、ポルトガル語:3)が、アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、日本、ブラジル、米国、ペルー、メキシコより寄せられました。

編集委員とニマ会のお気に入り作品はこちらです。


編集委員によるお気に入り作品:

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A Full Immersion in Today’s LA (Area) Japanese American Community

Being of only Japanese ancestry and growing up in the South Bay (Torrance) I have never questioned whether or not I belonged to the Japanese American community. My generational identity is that I am Yonsei (fraternal) and Shin-Nisei (maternal), which put me in situations where I am more “Japanese” than my Yonsei friends, but not “Japanese” enough to really be a Nisei.

The social outlets that I found myself participating in within the JA community was playing basketball, doing Girl Scouts, and dancing hula. Although I do not practice Buddhism, a family summer tradition has always been to go to …

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私のルーツ ~大藤松五郎の足跡~

1869年春、戊辰戦争で敗れた会津藩士の一団が、当時ゴールドラッシュに沸いたカリフォルニアに渡り「若松コロニー」という入植地を築きました。彼らに同行し、のちに現地でワイン醸造を学び、その後帰国して日本にワインを広めたと言われる大藤松五郎(おおとうまつごろう)が、私にとってのヒーローです。松五郎は、私の高祖母の父、つまりひいひいひいおじいさんで、私はその6代目の子孫にあたります。子どもの頃から英語を学んでいた私は、いつか海外に行って自分の知らない世界を見てみたい、色々な人と関わってみたいという願望を持っていました。その夢を叶えるため、高校生のときにイギリスに留学しましたが、私の先祖が、150年前に同じように日本を出て海…

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私のオバアは人生最大のインスピレーション

私にとって人生の一番の手本になる人物は誰かと問われたら、やはり私の祖母、オバアであると答えます。これまで多くの難題を乗り越え、見返りを求めず他人を助けてきた祖母は、私にとってはまさに英雄的存在なのです。

オバアは92歳で亡くなりました。そのとき私はたったの9歳でした。その年齢差は80歳以上!そうしたこともあって、私にとってオバアは、ミステリアスな存在だったのです。私が幼かったこともあり、オバアは自分のことについては何も話してくれませんでした。ときどき特定の出来事に対してなんらかのコメントはしてくれたことは記憶しています。でも、オバアはスペイン語があまりできなかったので、対話をしたという記憶はありません。

30歳に…

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ミネ・オオクボ

ミネ・オオクボは、日系アメリカ人強制収容所での体験を記録した画集、『市民13660号』でもっとも良く知られるアーティストです。私がカリフォルニア大学リバーサイド校の学生だった1979年、ミネは私のヒーローになりました。当時20代の若い女性だった私は、第二次世界大戦を生き抜いた“最も偉大な世代”のひとりであるミネの偉業に勇気づけられる思いでした。ミネは、自分の心に従い、堂々と生きていました。女性アーティストとしても、人生においても自らを貫き、困難な経験はミネをより強い人間に成長させました。ニッケイのアイデンティティを持ち続け、日系アメリカ人コミュニティやリバーサイドの原点を決して忘れませんでした。幼…

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私の父はツールレイク不忠誠者

私は、父の強さと勇気を永遠に称えるでしょう。第二次世界大戦中、私の父は若くしてアメリカの強制収容所に収容されるという苦渋を強いられたものの、人生を情熱的に忍耐強く生きました。

1921年6月6日、父はカリフォルニア州サンタアニタでセロリ農場の経営に成功した移民の両親の元に生まれました。5歳の時、病気の祖父の看病をするために両親と共に日本へ帰国、その後日本で子供時代を過ごしました。それから長い年月を経て、私の祖父は、父がどんなに賢く勉強熱心で、生まれながらのリーダーであったか私に教えてくれました。1939年、名門の(愛知)県立八幡浜高校を優秀な成績で卒業した父は、ロサンゼルスの住友銀行でインターンシップを受けることになり…

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