オハヨウ・ボンディア

祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)

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最終回 (後編) 「オハヨウ・ボンディア」放送中

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日本の料理も人気だった。平日の朝の番組なので主婦のリスナーが多かったが、男性も興味あるということが分かった。

ブラジル人は大豆を使う料理に関心をもっているので、おからのケーキを紹介した。ほかに材料はブラジル人がよく使っているバナナとフバ(トウモロコシの粉)。レシピの紹介が終わると、すぐに電話が掛かってきた。「すみません、材料をもう一度教えてください。妻は留守です。帰ってきたらこのケーキを食べさせたいんです」と。「わぁ、なんて優しいだんな様」と、わたしは微笑んだ。

チンゲンサイの炒め物も紹介した。その時、隠し味にオイスター・ソースを使うとよりおいしくなると言った。数日後、朝市で野菜を買っていると、八百屋…

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最終回(前編) 「オハヨウ・ボンディア」放送中

「オハヨウ・ボンディア!みなさん、すばらしい朝ですね。ラウラ・ホンダです。今日も元気いっぱい、この番組をお届けします。どうぞ、楽しいひとときをお過ごしください」

このようにして、7年間、わたしの一日はスタートしていた。雨の日も晴れの日も、ラジオ局に通い、本当に楽しい時間を過ごした。

ラジオのパーソナリティーを務めるのは長年の夢だった。

時は遡り50年代、大人が子どもだった私たちによく聞いていたことがある。それは「大きくなったら何になりたい?」

女の子は全員一致で「学校の先生」と答えていたが、わたしの場合は「ラジオのアナウンサー」

近所の子どもたちは「アナウンサー」がどういう仕事か想像も出来なかった。わたしは…

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第19回 ニッケイであること

ある日、アナ・ローザ地下鉄駅を出るとき、うしろで学生たちが話しているのを耳にした。「彼女には敵わない。『東洋の神経細胞』の持ち主だから」。

『東洋の神経細胞』って何のこと?初めて聞いた言葉だった。近くに高等学校や予備校があるので、もしかしたら彼らはテストに落ちて、『彼女』は東洋人だから合格したということかも知れないと思った。

昔から日系人の学生は勤勉で、優等生であると評判になっている。最近になって韓国系と中国系の学生もこのグループに含まれるようになった。だから、『東洋の神経細胞』とは東洋人の遺伝子を指す言葉で、学生の間で流行ったのだと思う。

先日、雑貨店で店員の話に気を取られた。「ジョアナは日本人を真似して目を細く…

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第18回(後編) 古きにっぽん、ここにあり!

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昔話は続くが、1959年に、わたしは初めて母の実家を訪ねた。パラナ州、ロンドリナの町外れの農園だった。そこで、いろいろな初体験をした。

まず、家に入るには靴を脱ぐこと。我が家でもそうだったが、玄関に下駄箱があった(下駄なんて履いたことがなかったが)。でも、おばあちゃんの家では入口の床に靴をただ置くのだった。たくさんの靴やサンダルが散らかっているのを見て、わたしは最初驚いた。いとこの一人が「ゾウリ」を貸してくれた(スリッパではなかった)。

外に出て戻ると、わたしの履いていたゾウリがなかった。あちこち探していたら、誰かが「めいめいのゾウリなんてないんだよ」と。

それも無理はなかった。おばあちゃんのうちは大家族。孫だけ…

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第18回(前編) 古きにっぽん、ここにあり!

40年前、わたしは留学生として日本に滞在した。

その当時のわたしの日本語はわずかな単語に限られていたが、何故か、なんの不安もなかった。それは若かったからだと思う。

まず、下宿に入り、管理人のおばさんに「前掛け、貸してください」と言ったら、首を傾げて「エプロンだったら、これよ」と貸してくれた。

大分経って、東京にいる母のいとこを訪ねた。わたしは新潟にいたので、そこに泊めてもらうことになった。いとこは「疲れたでしょうから、ベッドに休んだら。パジャマもあるよ」と親切に。(えっ、寝床と寝巻きじゃないの?)

授業の最初の日、先生はノートをとるようにと言ったが、わたしの持っていたのはちょうめんだった。

「エプロン」、「ベッ…

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