受け継がれる日系魂 ~シアトルの試み~

ワシントン州の日系史は130年を越す。2010 年の国勢調査では、人種を「日系(Japanese)」と回答した人の数は1位のカリフォルニア州、2位のハワイ州に続く全米3位で、最大都市シアトルを中心に州内には大小さまざまの日系団体が存在する。4月の桜祭り、9月の秋祭りをはじめ1年を通して文化行事も盛んだが、四世、五世と世代を重ねていく日系人たちが明治の時代に海を渡った一世移民から引き継ぎ、今に伝えるものはあるのだろうか。いくつかの視点からその姿を追った。

* 本シリーズは、シアトルの日英バイリンガル新聞『北米報知  (The North American Post) 』との共同プロジェクトです。

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第4回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(後編)

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季節外れの肌寒い風が吹きすさぶ早朝、ミネドカの旅参加者約200人が収容所跡地の入り口に降り立つ。近くには当時の敷石が残る「ビクトリーガーデン」、すぐ横に収容所から米軍に志願した日系人兵士を顕彰する「Honor Roll(栄誉名簿)」が見える。2011年に当時の作りを再現したものだ。国立公園職員のアンナ・タムラさんが翻る星条旗を指さし、「ここは愛国心という意味で非常に象徴的な場所です」と紹介した。

友達、食事、開拓――それぞれのミネドカ

「(収容所の周りは)いつも埃っぽい風が吹いて、地面は泥深くぬかるんでいました」

日本人バプテスト教会のブルックス・アンドリュース牧師が当時を振り返る。同教会の牧師だ…

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第3回 キモチを双肩に担うミネドカの旅(前編)

日系人たちの記憶を如何に次世代へ継承するか――。

一世の声を聴くことが不可能に近い今、第二次世界大戦の収容経験を持つ二世たちも高齢を迎え、問題は年々、切実なものとなっている。今年で11年目を迎えたアイダホ州ハントにあるミネドカ日系人収容所跡地への旅では、一世、二世の経験を含め、将来へ語り継ぐべき「キモチ(kimochi)」に焦点があてられた。

「近い将来には二世も三世も表舞台から去り、歴史を語り継ぐことは難しくなります。四世、五世といった若い世代には、我々の『キモチ』をその双肩に背負う覚悟がありますか?」

ミニドカの旅実行委員会の会議でマコ・ナカガワさんは語る。

「『二度とないように』を口で唱えるだけでは意味…

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第2回 二世兵士の奮闘を語り継ぐ

5月の最終月曜日、メモリアルデー(戦没将兵記念日)は毎年、第二次世界大戦における二世兵士の果敢な戦いぶりと犠牲を回顧する日でもある。シアトルではレイクビュー墓地で終戦1年後の1946年から追悼式典が続くが、二世兵士の高齢化が進むなか、近年は顕彰活動そのものについても模索が続けられている。

慰霊塔の建立 仲間の犠牲を悼む

メモリアルデーに日系兵士の死を追悼する式典は第二次世界大戦終戦の翌年から始まったが、『北米百年桜』(伊藤一男著)によると、当時はまだ兵士の遺骸がシアトルに帰還していなかった。復員した二世たちは命を捧げた仲間を迎え、また称えるため、有志を集い慰霊塔の建立に向けて募金活動を開始。寄付はわずか50日後に目標額…

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第1回 プロローグ:ワシントン州における日系移民の歩み

開国前から始まった日本との結びつき

さかのぼること179年前の江戸後期、尾張(現・愛知県)の漁師3人がワシントン州のオリンピック半島に漂着した。その約40年後、年号が明治に変わり、1869年に旧会津藩の武士らがサンフランシスコに渡ったのを皮切りに日本人の米国本土への移住が始まる。

1880年の米国国勢調査では、ワシントン州に日本人1人がいたことが記録されているが、シアトル、タコマ両市への移民は1890年代から増え続け、95年にはタコマ領事館が誕生。広島、山口、熊本、鹿児島など各県から海を渡った移民たちは製材所や鉄道、農場などで過酷な労働に汗を流した。やがて宗教施設や日本語学校が建てられ、ホテルやレストラン、商店、クリー…

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