Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity

日系アメリカ人の地位回復を果たした「市民自由法」制定25周年を記念して、全米日系人博物館は、2013年7月4日から7日にかけてワシントン州シアトルで、第4回全米会議『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』を行いました。この会議では、民主主義、正義、尊厳をテーマに、新しい見識、学術的論考、コミュニティの観点を紹介しました。

このシリーズでは、今回の会議で発表されたさまざまな視点からみる日系アメリカ人の体験談だけでなく、会議に参加した方々の反応などを中心に紹介します。

会議についての詳しい内容は、全米会議のウェブサイトをご参照ください>> 

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One for the History Books: Aleut-American Experience in WWII

           “I just want it to go in the history books.”
                        —Mary Bourdukofsky, Aleut American internee

The reach of empathy is determined in part, I believe, by the sharing of memories. As much as our individual natures and experiences, inherited perceptions of the world around us shape our responses to both historical and contemporary events.

Who we were influences who we are—and how well we relate as members of a larger society.

But what if our memories are lacking?

Hired to produce a …

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娘から見たミノル・ヤスイ 「公民権ヒーロー」

父、ミノル・ヤスイは、いつも、いやほとんどいつも、私のヒーローでした。でも、全ての人がそう思っていた訳でも、いつの時代もそう思われていた訳でもありません。

1942年、父が夜間外出禁止令の合憲性を問いただすため試験的に裁判に乗り出した時、父をヒーローだと思う人はいませんでした。メディアは、父を裏切り者の「ジャップのスパイ」と決めつけ、日系アメリカ人市民同盟(JACL)は、「新聞の一面を飾りたがっている身勝手な殉教者」と呼びました。1944年、父がハートマウンテンの徴兵拒否者に訴えを退けるよう説得に行った時、彼らは、夜間外出禁止令を意図的に破った父が、収容所の不当性に対する抗議活動に反対することは裏切りだと言いました。1…

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記録文学としての短歌、俳句、川柳:一世が詠んだ民主主義、正義、尊厳 - その2/2

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3.アメリカ民主義:排日からリドレスまで

排日

1907年のニューヨークタイムズの記事には、「白人の世界の日本人の侵略」と書かれています。やがて紳士協約が結ばれ、1913年カリフォルニア州外国人土地法、1920年の写真花嫁への旅券発給停止、1922年小澤孝雄判決による帰化不能外国人の決定、1924年移民法による日本人移民の停止と続きます。

短歌から三つばかり拾ってみました。法律とは別に、家を借りることができない社会的差別や、市民権がないばかりに泣き寝入りしなければならない経済的損失が詠まれています。

憤り心には燃ゆ貸家札 貼りたる家も我等には貸さず
       …

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記録文学としての短歌、俳句、川柳:一世が詠んだ民主主義、正義、尊厳 - その1/2

本日は、「短歌、俳句、川柳が詠む民主主義」と題して、最初に、「民衆の文学」として初期の作品を、つぎに「生活の記録、感情の詩」としてアメリカの生活を詠み込んだ作品を、最後に「アメリカ民主義 排日からリドレスまで」と題して、作品をいくつか取り上げます。

1. 民衆の文学

俳句や短歌、川柳は日本の「国民の文学」とでもいうべき文学形態で、一般の人々の生活に根ざしていました。当然、アメリカに行っても、生活の一部として作っていたものと考えられます。移民史などの史料を総合しますと、1904年ころには俳句や短歌の会がサンフランシスコ、オークランド、シアトル、ポートランドに生まれています。

サンフランシスコの日本語新聞であった『新世界』で…

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第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その3/3

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6.戦後のハワイ日系社会

戦争終結後は、日本人社会ではエスニック文化が一気に復活した。戦後のハワイ社会は日系文化にたいして非常に寛容で、「非アメリカ的」という激しい攻撃を受けることもなくなった。重要な制度であった日本語学校、仏教寺院、神道神社が再建された。日本人社会の生活習慣や行事等にも復活した。

久さびさに雛なつかしく飾りけり 川本恵子

なつかしき人の集ひや初句會 豊村

四年ぶり日本映画や初興行 恵子

戦後の日本人社会は、戦争中の軍需景気の恩恵を受けて蓄財がすすみ、好景気であった。人々は派手に消費した。大きなダイヤモンドの指輪が光っていたり、結婚式や出征祝いに多額の金が使われたりした。

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