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サンパウロ大学の日本語学科に試験を受けて入ってみたら、同級生に2人非日系人がいてですね、日本語が全くわかんないから、週末にそのうちの一人の家に集まってですね、日本語を少し教えるというようなことをやってるうちに、そのうちの1人とお付き合いをするようになり。お友達でいるうちはうちの親は何も言わなかったけど、ある時お付き合いをしているのがバレて、かなりけしからんみたいなことになってですね。
その時しかし、もう日本に行くことは大体もう決めていましたから。(彼女は)東京外国語大学の日本語学科に4年間いて、さらに筑波大学に行って修士課程と博士課程で全部10年日本にいたんですね。私もたまたま10年間日本にいて。私が博士課程を終えた時に、じゃあそろそろ結婚をするという年齢にもなっていたし。
日本で彼女はブラジルに赴任する人たちにポルトガル語を教えたりしてて、そうすると、そういう人たちがブラジルにやってきて、うちの親に会ったりすると「息子さんのフィアンセに会ったたけど、彼女はなかなかいいんじゃないですか」と言ってくれて、親も仕方ないと思うようになったんですかね。
Data: 2019年9月19日
Localização Geográfica: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター