Escolha o seu idioma de preferência para tirar o máximo proveito das páginas do nosso Jornal:
English 日本語 Español Português

Fizemos muitas melhoras nas seções do nosso Jornal. Por favor, envie-nos a sua opinião ao escrever para editor@DiscoverNikkei.org!

ja

日本時間 ~日本語ラジオ放送史~ 《ロサンゼルス編》

第2回 日本語放送の始まり

羅府新報と羅府日米社が提供する新聞のニュースを番組で紹介することを始める記事(『羅府新報』 1930年5月19日)

ロサンゼルス初の定期的な日本語放送を主宰した河内一正。KGFJで放送を行った。

1930年に入り待望のロサンゼルス初の定期的な日本語放送が開始された。ユタ州生まれの河内一正が主宰する「日本人放送局(あるいは日本語放送局)」である。開始は30年4月28日。月〜土曜日の正午から30分、KGFJで放送を行った。

アナウンスは南カリフォルニア大学大学院で政治学を学ぶ神田効一が担当した。「熱弁家で情熱家で世話好き」(『羅府日米』1932年8月22日)と評される神田は、その能弁と学業を生かして戦後愛知県議会議員や県議会議長を務めた。

放送を開始した第一週の番組は「下町美形連」が民謡や長唄を放送するとして、「安来節」(濱の家愛子、夏子)、長唄(濱の家君子)、「すととん節」(川福丸子)などの演題が報じられている。濱の家、川福はいずれも当時ロサンゼルスにあった料亭(レストラン)の屋号である。料亭のお座敷に出ていた芸妓(げいぎ)がその腕をふるったのである。

放送を開始した第一週の番組で、民謡や長唄を演奏する下町美形連の告知(『羅府新報』1930年4月28日)

ちなみに川福丸子は1928年にロングビーチで開催された太平洋南西博覧会の日本デー行事の一環として企画されたKGERでのラジオ番組にも他の芸妓とともに出演していることからしても、その実力の程が知れる。このような芸妓のラジオ出演はバンクーバーからロサンゼルスまで、米大陸西海岸各地の日本語番組で一般的に行われていることであった。

当初は音楽主体であった番組も、そのうち驚くほどバラエティーに富んだメニューを取り入れて充実させていった。まずは5月から地元の邦字新聞社の協力を得て、ニュース番組を新設した。月水金は羅府新報が、火木土は羅府日米がそれぞれ素材提供を行った。次いで「金色夜叉」、「不如帰」などのラジオ・ドラマにも取り組んだ。

また、邦画上映専門の富士館とタイアップしたものと思われる映画物語も始まった。これは音楽と映画のストーリーやせりふを組み合わせて映画の解説を行うもので、富士館で活躍していた細川天流、北都斉謙遊、藤岡吟波、国本輝堂といった無声映画弁士の出演が確認できる。

土曜日には子供向け番組の編成を行った。新世界新聞社ロサンゼルス支社があっせんしたもので6月末より放送された。担当したのは同支社の水戸愛川(憲道)記者である。水戸は南カリフォルニア大学で学び、帰国後は童話など子供向け書籍の執筆や幼児教育に力を入れた。

詳しい経緯は不明であるが、30年7月18日から放送局がカルバーシティーのKFVDに変更され、放送時間も金曜日午後9時15分〜10時まで、週一回夜の放送になった。新たに音楽主任として琴古流尺八の師匠である井筒京堂(四郎)を招聘(しょうへい)し、アナウンスは国本輝堂が担当した。現代の感覚からすると尺八界の大御所が音楽主任を務めることには違和感があるが、邦楽全盛の当時ならではの人選であったものと思われる。変更初日の番組では長唄「連獅子」「千曲川」(杵屋彌曾代師匠)、ハーモニカ演奏(斎藤進)、詩吟(安西秋水)が放送された。

無線電信受信局の新設を伝える羅府新報の社告。無電技師に河内一正を招聘した(1930年9月9日)

ところが、「白人方面で興味を持たず抗議が多いので放送局使用を断る」(『羅府新報』1930年7月26日)旨の通知を受け、1日だけの放送で終わってしまった。期待をもって行われた放送局変更が全くの裏目に出た形となった。

ちなみに1930年は11月に帝国貿易商会・片岡時計店が企画したもうひとつの日本語番組も放送局の反対により幻の放送に追いやられるという在留邦人社会にとっていやな思い出の残る年であった。

その後河内が日本語放送に取り組むことはなかったが、裏方として日系社会に大きく貢献することになる。30年9月、羅府新報は日本から送信されるニュース電報を受信するため、レドンドビーチに無線電信受信局を新設し、河内を無電技師として招聘(しょうへい)した。河内が受信したニュースは「本社無電局受接重要電信」として連日第一面を華々しく飾った。ちなみに、「本社無電局」の実態は、河内が自宅に設置した趣味のアマチュア無線の設備であった。

続く >>

 

*本稿は、『日本時間(Japan Hour)』(2020年)からの抜粋で、『羅府新報』(2021年4月20日)からの転載です。

 

© 2022 Tetsuya Hirahara

Japanese languages Los Angeles prewar radio Rafu Nichi Bei Rafu Shimpo

Sobre esta série

1921年にいち早く商業ラジオ放送を始めたロサンゼルスでは、1930年から定期的な日本語ラジオ放送が始まった。シアトル編に続き、今シリーズでは戦前ロサンゼルス地域での日本語放送の歴史を全5回に分けてたどる。

*本シリーズは、平原哲也氏の著書『日本時間(Japan Hour)』からの抜粋で、『羅府新報』からの転載です。

第1回から読む>>

* * * * *

シリーズ「日本時間 ~日本語ラジオ放送史~」