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ニッケイを見いだす:詩のコラム

思慕 

今月は、松本登美子さんと松本ゲンノスケ(号:緑葉)の日本語の短歌をお楽しみください。千葉県出身の二人は、千葉で知り合い、結婚。その後、シアトルへ移り住みますますが、第二次大戦中はワイオミング州のハートマウンテン強制収容所へ収容されました。ここでは、二人の詠んだ哀歌を取り上げます。

— トレイシー・カトウ=キリヤマ

松本ゲンノスケ・登美子

* * * * *

松本登美子氏は、1900年8月30日、千葉県中野(現・君津市)生まれ。1920年代前半にシアトルに移住する。1943年から45年、ワイオミング州ハートマウンテンの強制収容所に家族と共に勾留され、ここで『加州毎日』の歌壇選者だった歌人、高柳沙水に師事し短歌を学ぶ。1955年、年始に皇居で行われる歌会始(うたかいはじめ)に入選し、短歌が詠まれる。1958年、短歌結社『歌と鑑賞』に参加し、1960年には夫のゲンノスケと歌集『ミシガン湖畔』を出版する。孫のナンシー・マツモトがこの歌集の英訳版を編集し、近く刊行が予定されている。

木の間がくれ 沸く真清水に 月光の
すがしきさまは この国に見ず

* これは1955年の歌会始の御題「泉」に提出され、選ばれた作品で、1960年に発行された「ミシガン湖畔」にて集録されたものです。
著作権は孫のナンシー・マツモトさんへ帰属します。

* * * * *

松本ゲンノスケ氏は、1889年8月1日、千葉県布佐(現・我孫子市)生まれ。若くしてワシントン州シアトルに移住し、貿易商店に勤務する。その後、友人であり同じ千葉出身の移民、タイスケ・タカハシの妹(姉)と文通を始め、日本に一時帰国し、登美子と結婚する。二人はシアトルで果物店を営み、世界大恐慌後はロサンゼルス中心部でスーパーの経営を始める。真珠湾攻撃後は3人の子供たちと登美子の母イクと共にサンタアニタパーク競馬場、次にワイオミング州ハートマウンテンに強制収容され、ここで松本緑葉という号で短歌を詠み始める。短歌結社『アララギ』の会員。


敗戦 (1945年8月、シカゴにて)

人知れず 折りしことも 夢なりし
祖国の敗戦 吾を泣かしむ

* これは1960年に発行された「ミシガン湖畔」にて集録されたもので、著作権は孫のナンシー・マツモトさんへ帰属します。

 

© 1960 Nancy Matsumoto

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このシリーズについて

「ニッケイを見いだす:詩のコラム」は、文化や歴史、個人的な体験をめぐるストーリーを、多様な文章表現を通して共有するニッケイ・コミュニティのためのスペースです。過去から今に至る歴史、儀式・祭事・伝統としての食、伝統の儀礼と前提、土地・場所・コミュニティ、愛など、歴史やルーツ、アイデンティティに関わるさまざまなテーマによる幅広い形式の詩をご紹介します。

この月刊コラムの編集者として、作家、パフォーマー、詩人のトレイシー・カトウ=キリヤマさんをお招きしました。毎月第三木曜日には、詩作を始めたばかりのシニアや若者から、出版歴を持つ全米各地の詩人まで、1~2名の作品を発表します。無数の相違や共通の経験の間で織りなされる、人々の声の交差が見いだされることを願っています。